シリアやエジプトでは決してバラ色の展開とは言えない「アラブの春」ですが、苦境にめげずに活動を続ける人たちがいます。
その中でも、「イスラム自由主義」という主張を展開する活動家、イヤド・エル・バグダディさんの講演です。
「バグダディさん」と言うと、ISIS(イスラム原理主義団体・「イスラム国」)の指導者の「バグダディ師」を連想してしまいますが、もちろんこの人はテロリストではありません。
1.永久国外追放
My name is Iyad El-Baghdadi.
I’m an Arab Spring activis and writer.
I’m Palestinian, but I’ve lived all my life – since birth – in the United Arab Emirates, better known as the UAE.
Until around this time last year, I was the most influential online voice out of the country and among the top 30 Arab voices online.
私はイヤド・エル・バグダディと言います。
私は「アラブの春」の活動家でライターです。
私はパレスチナ人ですが、生まれてからずっと、アラブ首長国連邦、UAEで暮らしてきました。
去年の今頃まで、私はアラブ世界のオンライン上の活動家トップ30人の中でも、最も影響力のある人物に数えられていました。
But this past spring on the morning of April 30th, I was summoned to a government point,
and informed that I am being permanently expelled from the country.
There were no charges, no reasons afforded, no apeal process, and the decision was to be carried out immediately.
4月30日の朝、私はUAE政府に呼び出されました。
そして、永久国外追放を言い渡されました。
私は何の違反行為もしておらず、何が理由なのかも告げられませんでした。
異議申し立ては許されず、決定は迅速に決まりました。
(1:00)
My wife was 7 months pregnat with our first child.
When I was invited to speak before you, I thought that this is what I’ll be talking about,
about how the authorities did not know where they can send a stateless Palestinian refugee.
How they gave me a choice between staying in jail indefinitely, or flying to Malaysia.
その時、妻は私たちの第一子を身ごもっていました。妊娠7か月でした。
この講演に招待された時、私に起きたこの事件を話そうと思いました。
ただの一難民がこのような場所で講演することなど、政府は全く想像しなかったでしょう。
刑務所に一生閉じ込められるか、マレーシアに飛ぶか。私にはどちらかを選ぶしかありませんでした。
I thought I’ll be describing the injustice and racism and corruption that I witnessed first-hand in jail.
I thought that I’ll be talking about how I was stranded for 3 weeks in KL International Airport following my release.
But this is not the story I’m here to tell.
この講演では、私が刑務所で目撃した不正や、差別や、汚職について話そうと考えていました。
または、釈放の後、クアラルンプール空港を3週間さまよった話もしようと思いました。
でも、それとは別の話をしようと思います。
2.「アラブの春」の世代
My story fades into complete insignificance within the greater mosaic of tragedies that befall our generation,
the Arabu Spring generation.
A generation that 3 and a half years ago opened its mouth to speak,
just to have a 1000 forces conspire against it and smother its voice.
私の物語は、大した意味を持ちません。私たちの世代に降りかかった悲劇の巨大な寄せ集めの前では。
私たちは「アラブの春の世代」と呼ばれる世代です。
私たちは3年半前に口を開くようになった世代で、
その声は数多の陰謀によって隠ぺいされる事になりました。
In early 2011, the Arab world erupted with massive protest movements demanding liberty, justice and democracy.
The “Arab Spring” as it is now called, touched almost every Arab country,
but it mostly failed to produce any visible institutional results.
2011年の始めのころ、アラブ世界は自由と正義と民主主義を求める大規模な抗議活動とともに立ち上がりました。
現在「アラブの春」と呼ばれているこの流れは、ほとんどのアラブ国民に感動を巻き起こしました。
ところが、具体的な体制変更をもたらすには至りませんでした。
Instead, our revolutions were fought back by a highly organized and deep pocketed counter-revolutionary axis
that has international legitimacy and credibility.
My friends, this is going to be a talk about how our generation found its voice,
how we lost that voice, how we can regain it,
and why despite all the catastrophes in the Arab world, we remain confident,
and we’ll never, ever give up the fight.
そのかわり、高度に組織化され、資金豊富な反革命勢力によって、私たちの革命は反撃を受けました。
反革命勢力は、国際的に正当な体制として認められており、信用されています。
皆さん。私の話は、私たちの世代がどのようにして発言する自由に気付いたのか、という事についての話です。
私たちの世代が、どのようにして発言する自由を失い、どのようにしたら自由を取り戻す事ができるのか、についてです。
そして、アラブ世界に起きた災厄にも関わらず、なぜ私たちが自信を失わないのか、についてです。
私たちは決して、絶対に、戦いをやめません。
Ladies and gentlemen, this is Mariam.
She’s a Syrian-Palestinian young woman, who, in 2011, was among the first people to go down
and protest peacefully as part of the Syrian revolution.
As the revolution gave way to civil war, Mariam’s family became internal refugees,
hopping from neighborhood to neighborhood in Damascus for shelter.
皆さん、この写真の女性はマリアムと言います。
彼女はシリア系パレスチナ人の若い女性で、2011年、最初に逮捕された人々の一人です。
シリアの革命の平和的な抗議活動に参加していて、投獄されました。
革命が内戦に変わってから、マリアム一家は難民となりました。
ダマスカスで安全な場所を求め、転々としました。
In 2013, she eventually managed to flee Syria, alone, to Malaysia,
having witnessed so much death and destruction along the way.
I met Mariam over a meal in KL.
I sat across the table as she narrated her ordeal with an air of detached indifference.
2013年、彼女は単独で、なんとかシリアを脱出する事に成功しました。マレーシアに避難しました。
その途中、彼女は数えきれない死と破壊を目のあたりにしました。
私はマリアムとクアラルンプールで会食をしました。
彼女がまったくの他人事のように自分の苦難を語るのを、テーブルの向かいで聴きました。
3.「アラブの春」のその後
She braggeed that throughout it all, she never cried.
She asked to hear my story and I began to explain.
I said that I lived in the UAE, which is a bit far away from the heartlands of the revolution.
It does not tolerate any kind of street activism, so as a result, my Arab Spring experience was primarily online.
彼女はまるで自慢しているようでした。彼女は全く涙を流しませんでした。
彼女は私の話を聞かせてほしいと言ったので、私は自分の話を始めました。
私がUAEで暮らしていた事。UAEは革命の中心地からは少し離れていますが。
UAEでは屋外での抗議活動は全く許されておらず、私の活動はもっぱらオンラインに限られていました。
(4:00)
As the revolutions kicked off in early 2011,
I reported on the unrolling events, and helped present our story to the world.
But I like to think that my main contribution was within the realm of ideas.
2011年始めに革命が始まってから、
次々と起こる出来事を私は世界に紹介しました。
私の貢献はあくまでも考えやアイデアの面に留まっていました。
Even before Mubarak was ousted I was already asking this key question.
It really bothered me that no one was asking this question.
Over the next few months, I raised the issue several times.
What’s next?
Do we have a plan?
ムバラク大統領がエジプトから追放される前から、私は次のような根本的な疑問を持っていました。
誰もこの疑問について口にしないので、私はうんざりしていました。
数か月間、私は何度もこの疑問を提起しました。
「この後どうする?
私たちには計画があるのか?」
I had no doubt that a new order was set to arise, but I insisted that it will not arise spontaneously.
It requires original thinking, a new generation of intellectuals, and a lot of work.
Within the dizzying rush of early 2011, nobody was prepared to talk about this.
Nobody was really prepared to handle these issues.
私は、新たな秩序が立ち上がるだろうと確信していましたが、すぐにはそうならないだろうと主張しました。
新たな体制が出来上がるには、独創的な考えや、新しい世代の知性や、たくさんの仕事が必要です。
2011年始めの目がくらむような変化の中、この事について語ろうとする人は皆無でした。
これらの問題に取り組もうとしている人は誰一人としていませんでした。
A growing polarization was ripping our movement apart, centered upon the role of Islam,
in the midst of this polarization, I provocatively called myself as an “Islamic libertarian”,
and talked about our need to indigenize liberty, to find our own path to freedom.
拡大する対立が運動を引き裂いていきました。イスラム教の役割を中心とした対立です。
この対立のさなか、私は自分の事をあえて「イスラム自由主義者」と呼びました。
そして、個人の自由へのイスラム世界独自の道を見つけるために、束縛からの解放という概念を根付かせる必要があると主張しました。
(5:00)
By 2012, the Arab Spring had fallen into a trap.
When your only tool is a hammer, everything looks like a nail, and our only tool was protest.
We moved to the streets then got stuck in the streets.
And we were stuck there long enough for the autocrats to stage a comeback.
2012年には、アラブの春はにっちもさっちも行かなくなりました。
手持ちの道具がカナヅチしかなければ、全ての物がクギに見えてしまいます。私たちの唯一の道具は「抗議」でした。
私たちは街中に繰り出し、街中から動けなくなりました。
街中に長すぎるほど留まり、独裁者に復活の道を与えてしまいました。
A conspiracy was being planned.
It’s actually become quite fashinable in the Arab world,
especially in state media, to refer to the Arab Spring as a grand conspiracy.
But the real conspiracy was one to stop democracy at any place.
(applause)
陰謀は周到に計算されていました。
アラブ世界では次のような考えが主流になりました。
特に国営メディアでは、アラブの春は大いなる陰謀だった、と。
しかし、本当の陰謀とは、あらゆる場所で民主主義を停止させる事でした。
(会場拍手)
It was an organized assault by a counter-revolutionary axis,
more afraid of the rise of a thriving Arab democracy than the rise of a 1000 terror groups.
Especially the rise of a thriving Arab democracy that can tickle the imagination of their own youth.
この動きは、反革命勢力による組織だった反撃でした。
彼らは、一千のテロ集団よりも、アラブ世界の民主主義の勃興を恐れています。
特に、若い世代の想像力を刺激するような民主主義の勃興を。
4.テロ集団はとても便利
(6:00)
It’s very important to note that groups like ISIS present no existential threat to the tyrants.
In fact, they’re incredibly convenient, it’s an opportunity for them to present themselves
as fighter of terrorism and a force for stability.
ISISのような集団は、圧制者にとってなんら脅威ではない、という点を強調する必要があります。
実際、テロ集団は非常に便利な集団です。なぜなら、圧制者たちが自分自身を、
テロに対する抑止力であり、安定をもたらす者だと宣伝することができるからです。
Now, heed this, when the people demand democracy,
and instead of giving them democracy, you put the lid back on,
even tighter than it was before, you do NOT get stability, you get an explosion.
And even if you do manage to get the lid back on and clamp it shut,
you do not get stability, you get a time bomb.
さて、よく聞いて下さい。人々が民主主義を求めるなら、
民主主義を与える代わりに、抑圧を与える事です。
以前よりもさらに厳しい抑圧を与えてみてください。人々は「決して」安定したりしないでしょう。人々は爆発するでしょう。
たとえなんとか抑圧を加えることに成功し、締め付けを強化できたとしても、
安定は得られません。時限爆弾が出来上がるだけです。
At this point in my conversation with Mariam, I was rambling.
I looked up at this young woman’s face, and she was crying.
Minutes earlier she was bragging that she never cried, and now she was crying.
I did not know, what sent her over the edge.
マリアムとの会話のここまでで、私は行き当たりばったりに話していました。
ふと彼女の顔を見上げると、彼女は泣いていました。
ほんの数分前まで、彼女は「自分は泣いたことなんて無い」と自慢していましたが、今では泣いていました。
私には、何が彼女の琴線に触れたのか分かりませんでした。
(7:00)
Reality was much more poignant than anything that I could say.
Here we are, 2 Arab activists, sitting 3,000 miles away from home, refugees, in a foreign land.
We wanted the downfall of the regimes, but it seemed like the regimes achieved our downfall.
現実は、私の話よりもずっと強く胸に訴えるものでした。
この二人のアラブの活動家は、故郷から3000マイル離れた外国に、難民として座っていました。
私たちは政府の打倒を望んでいましたが、政府は私たちを打倒する事に成功したようです。
Our Arab Spring had turned into a Jihadist Disneyland.
She looked up at me and I’ll never forget, I’ll never forget what she said next.
It was as if she poured all of her frustration, and her betrayal, and her pain, into this 1 question.
“Do you mean to tell me you still believe?
After all of this, you still believe in an Arab Spring?”
アラブの春は、ジハード主義者たちの楽園へと変わってしまいました。
彼女を私を見上げ、次のような事を言いました。その言葉を私は決して忘れることができません。
その言葉は、彼女の全ての失望、絶望、苦しみを凝縮したような一言でした。
「あなたはまだ信じてるっていうの?
こんな結果になって、それでもまだ『アラブの春』を信じているって?」
I’ll never forget how she said that.
I said “yes,” and she looked at me like I’m crazy.
I never got to explain. I hope she’s watching this.
彼女の口調は決して忘れることができません。
私は「信じている。」と言いました。彼女は、頭のおかしい人を見るような目つきで私を見ました。
その時、私は理由を説明する事ができませんでした。彼女がこの講演を見てくれている事を願います。
5.それでも「アラブの春」を信じる3つの理由
There are 3 reasons why I maintain my confidence despite all the catastrophes.
The 1st reason is that 2011 happened.
That was NOT an illusion.
It was not a dream.
ひどい結果にもかかわらず、私が自信を失わない理由は3つあります。
第一の理由は、2011年の出来事が「起きた」という事です。
それは決して、幻想なんかではありませんでした。
夢ではありませんでした。
(8:00)
Millions of young Arabs really did take to the streets and demanded liberty, and dignity, and justice.
It was NOT an illusion. Something green and fresh and beautiful appeared and captured the world’s imagination.
It wasn’t a mirage.
We really do exist.
何百万ものアラブの若者が街中に繰り出し、解放、尊厳、正義を求めたのです。
幻想なんかではありませんでした。安全で、新鮮で、美しい何かが出現し、世界中を虜にしたのです。
幻ではありませんでした。
現実に存在したのです。
We’re not a minority.
We only appear to be a minority because we’re not organized,
we’re not on the menu.
When the only options presented are black and white, it does not mean that red and blue and green are a minority.
It’s just not on the menu.
Our historical responsibility right now is to put ourselves on the menu.
私たちは少数派などではありません。
少数派に見えていたのは、私たちが団結していなかったからです。
私たちが見える所にいなかったからです。
世の中に提示されている選択肢が「黒」と「白」だけだからと言って、「赤」や「青」や「緑」が少数派だとは限らないのです。
ただ、目に見えていなかっただけです。
私たちを陽の当たる場所に置く事こそが、今この瞬間の、私たちの歴史的責任です。
The 2nd reason I am confident is that the friendships that arose in 2011 cannot be undone.
The online scene is not “virtual,” ladies and gentlemen, it’s all too real.
The friendships are real, the ideas are real.
Many of us activists have never met before face to face, but we talk almost daily about things we care really deeply about.
These friendships are forever.
第二の理由は、2011年に始まった友情は消えないという事です。
オンライン世界は「バーチャル」なんかではありません、皆さん。それは全くの現実です。
友情は現実で、アイデアの交換は現実に起きている事です。
私たち多くの活動家たちは現実には顔を合わせていませんが、ほとんど毎日、大切に思っている事に関して話し合っています。
この友情は永遠です。
(9:00)
Martin Luther King once said,
“Those who want peace must organize as effectively as those who want war.”
I’m gonig to adapt this and say,
“Those who want liberty must organize as effectively as those who want tyranny.”
These online friendships can form the nucleus for an intellectual movement as we work together on projects and campaigns and books.
マーティン・ルーサー・キングはかつて言いました。
「平和を求める者たちは効率的に団結しなければならない。戦争を求める者たちのように。」
私はこのセリフを次のように改造したいと思います。
「解放を求める者たちは効率的に団結しなければならない。圧制を求める者たちのように。」
このネット上の友情は、私たちがプロジェクトやキャンペーンや書籍の出版を共に行う際の知的活動の核となるものです。
The 3rd, and perhaps most important reason why I remain confident,
is that the old order, the Arab ancien regime, for all its cruelty and all its deep pockets,
has no vision or hope to offer beyond sectarianism, demagoguery and jingoism.
It lives on borrowed time, supported by mass hysteria.
It’s unsustainable and will bring no stability and no growth.
第三の理由は、最も重要なものです。
旧秩序、アラブ世界の過去の体制は、残虐性と豊富な資金で知られています。
これらの体制は、派閥争いや、民衆煽動や、戦争主義を越える、未来に対するビジョンも希望も持っていません。
体制は、民衆の盲目的支持に支えられ、過去に生きています。
そのような体制は持続不可能であり、何の安定性も成長ももたらしません。
6.私たち自身が「未来」
More importantly, they have a little secret.
They’re afraid of us.
They’re not afraid of those with guns, after all they have bigger guns.
But they’re afraid of those with ideas.
更に重要な事に、彼らはちょっとした秘密を抱えています。
彼らは私たちを恐れています。
彼らは銃を持った者は恐れていません。なぜなら彼らの武器の方が強力だからです。
しかし彼らは、アイデアや考えを持った人々を恐れています。
(10:00)
We’re a the future, ladies and gentlemen.
Despite the catastrophic scene back home, we are the future.
If they don’t let us dream, we’re not going to let them sleep.
(applause)
私たち自身が「未来」なのです、皆さん。
故郷ではひどい事がたくさんありましたが、私たちこそが「未来」なのです。
彼らが私たちに夢を見る事を許さないのであれば、私たちは彼らが眠る事を許しません。
(会場拍手)
7.「キリング・フィールド」
There is yet another reason why we can never give up.
Ladies and gentlemen, this is the first stop at the Choeung Ek memorial site in Cambodia,
better known as the “Killing Fields.”
I visited Cambodia in August, in order to avoid overstaying my short-term entry that I was allowed into Malaysia.
私たちが決して諦めない理由がもう一つあります。
皆さん、これはカンボジアのチョエン・エク記念館での最初の休憩所です。
「キリング・フィールド」として知られています。
私は8月にカンボジアを訪問しました。マレーシアの滞在期間を延長するため、カンボジアに短期滞在しました。
About 50 paces into the site, on this bench, I collapsed, holding my head in my hands, a sobbing mess.
I can’t even call it sobbing, it was something much deeper.
Cambodians come to this site to look at their past,
but I felt like I was walking through an exhibit of what could be the Arab wolrd’s future.
この場所まであと50歩というところで、私はベンチに座り込みました。頭を抱えて、すすり泣きました。
それは「すすり泣く」とは違うかもしれません。もっと心の深いところから来たものでした。
カンボジア人は、過去を振り返るためにこの場所に来ます。
しかし私は、アラブ世界の未来をそこに見るかのように感じました。
A future full of massacres, mass graves, and genocide.
My son was 2 months old at the time.
The Cambodian genocide took place in the mid 70’s, around the time I was born.
What genocide sites will my son walk through when he’s my age?
虐殺や、巨大な墓地や、大量殺人で満ちた未来です。
この時、私の息子は生後二か月でした。
カンボジアの虐殺は70年代に起きた出来事で、私はその頃生まれました。
息子が今の私と同じ年になった時、どんな虐殺の現場を歩く事になるのでしょう?
Will it be a memorial dedicated to the Rabaa massacre, committed by the Egyptian military regime?
The Ghouta Massacre, committed by Assad’s regime in Syria?
The Sh’eitat Massacre, committed by ISIS?
Or will it be yet another horror that’s yet to come?
それは、エジプトの軍事政権によって起きたラバアの大虐殺の慰霊碑でしょうか?
シリアのアサド政権によって行われたゴウタの大虐殺でしょうか?
ISISによって行われたシーア派の虐殺でしょうか、
それともまだ見ぬ別の恐怖でしょうか?
And more importantly, will massacres be behind us, or will my son still live in a world
where he’s afraid to speak, where demanding dignity ends you up in jail,
where you have to think a 1000 times before saying something or tweeting something,
for fear of upsetting the wrong people?
もっと重要な事は、「虐殺」という言葉は過去のものになっているでしょうか?
私の息子が生きる世界は、
今と変わらず、自由に発言する事ができず、尊厳を要求すれば刑務所に入れられ、
何かものを言ったり、ツイートしたりする前に、間違った人々を怒らせないように、
これ以上ないくらい熟考しなければいけないような世界でしょうか?
8.テロや圧制の連鎖を終わらせるための最善の方法
(12:00)
This is what awaits us if we fail, ladies and gentlemen.
At this point, it’s Arab Spring, or no Arabs.
A thriving democratic Arab world is not only our salvation as Arabs.
It’s the world’s best hope to end the cycle of terrorism and tyranny that we’re stuck in.
これが、私たちが失敗した際に待っている世界です。皆さん。
現時点では、アラブの春か、アラブの無か、です。
アラブ民主主義社会の実現は、アラブ人の救済だけではなく、、
今世界が陥っているテロや圧制の連鎖を終わらせるための最善の方法なのです。
My book, “the Arab Spring Manifesto”, detailing my vision for an Islamic libertarianism, is due to completed in December.
We’re hoping to have it out by next summer.
As far as I know, it would be the first attempt by our Arab Spring generation,
and I hope it won’t be the last.
私のビジョン、「イスラム自由主義」の詳細を記した『アラブの春の政策集』という本が、12月に完成予定です。
来年の夏には出版したいと考えています。
私の知る限り、これはアラブの春世代にとって最初の試みです。
そして、次に続く試みが出てくることを願っています。
9.息子へ
Ladies and gentlemen, allow me to take a couple more minutes of your time to close with a short messages to my son.
Ismael was born on my exact birthday last June.
He turned 4 months old a few days ago.
I only got to see hime last week, and I only spent 3 days with him.
皆さん、あと数分お時間をください。私の息子への短いメッセージでこの講演を終わりたいと思います。
イスマイルは私と全く同じ誕生日に、6月に生まれました。
数日前、彼は生後4か月になりました。
先週彼に会う事ができましたが、三日間しか一緒にいられませんでした。
Ismael, I say this as a father. I’d rather see you die young than grow up to be coward.
We were preceded by a generation that kept its head low and kept its nose to the grindstone,
and learned to live with tyranny and corruption and accept them as a fact of life.
And they bequeathed us the Arab wolrld we see today.
イスマイル。これは父としての言葉だ。君が臆病者になるくらいだったら、君は若くして死んだ方がマシだと私は考えている。
私たちは、希望を持たず必死に働くように命令されていた世代から、この世界を受け継いだ。
その世代は、圧制と腐敗を既成事実として受け入れるように教育され、
その世代は、今のアラブ世界を私たちに残した。
A festering pool of stagnation and retardation.
A playground for tyrants and terrorists.
And now that the coutner-revolution thinks it has succeeded,
they are giving us the same deal again and they expect us to take it.
膿の溜まった経済不況や低脳化。
暴君やテロリストの遊び場。
いまや、反革命勢力は成功したと思っている。
彼らは私たちに過去と同じ待遇を与え、受け入れるよう求めている。
“Trust the great leader with your rights.
Trust us with your children’s future.
Trust the strong man with your security.”
「偉大な指導者を信頼しろ。権利を与えてやる。
子どもたちに未来を約束しよう。
強力な政府を信頼すれば安全だ。」
NO.
Do not legitimize them, even if the world does.
Do not call them Sirs and Majesties, even if the world doees.
Do not call them champions and heroes, even if the world does.
Our liberty, or we die trying.
Our dignity, or we die trying.
(applause)
違う。
彼らに正当性を与えるな、たとえ世界を敵に回しても。
彼らに仕えるな、たとえ世界がそうしても。
彼らを支配者や英雄と呼ぶな、たとえ世界がそう呼んでいても。
自由のため、死を恐れるな。
尊厳のため、死を恐れるな。、
(14:00)
Ismael, my son. May you live long and kick ass.
But if they ever give you the choice between the 2, then kick ass.
Thank you.
イスマイル。わが息子。君が長生きして、戦ってくれるように。
もし、君がその二つのどちらか一つを選択しなければならなくなった時は、戦え。
ありがとう。
感想
日本とは全く異なる世界の話で正直ピンと来ませんが、アラブ世界では「自由」は命がけで手に入れるもの、という現実は伝わってきます。
仮に、息子の「イスマイル」くんが日本で育ったとしたら、
『んだよ、暑苦しいオッサンだな。長生きする方が大事に決まってんだろ。』
と考える大人に成長してしまう可能性大です。
果たしてそれが幸せな事なのか、不幸な事なのか。日本人である私には判断がつきません。
とはいえ、父親の愛や優しさや勇気に溢れたメッセージであることは間違いありません。
「イスマイル」くんが成長した時、アラブ世界がどうなっているのか。
彼が大人になってこの動画を見た時、父親を誇りに思うのか。
未来が楽しみになる動画でした。